今回の目標は、
- 足立さんに東稜ノーマルルートを登ってもらう。(前回は混雑ですべり台右ルートにしたので)
- (個人的には)すべり台中央ルートを登る。できればリードで。
(西本、足立)、(塚本、金澤、山口)の2パーティで2ピッチ目終了点の松の木からすべり台下にトラバースし、すべり台を登った後ノーマルルートに戻る計画でした。
実際には後述の事故の関係でノーマルルートに戻らずに、すべり台の右ルートを登り直しました。
足立さんは今回もノーマルルートを登れず。
すべり台ではロープを結びなおし、一番信頼できそうな塚本さんのビレイでリード開始。
2人目の子供が生まれて、一旦は止めたクライミング。
22年間のブランクの後、8年前にクライミングを再開した時は、衰えた筋力に、もう高難度のルートをリードする事はないだろうと思ってました。
記録では最後にすべり台の中央を登ったのは1984年、実に37年前の事でした。
登りだすと、身体が勝手に動き、次々に手が足がホールドをつかんでいきました。
自転車に乗れた人は何年も乗らなくても、体が覚えて乗ることができますが、クライミングもムーブのスポーツと言われています。
自転車と同様に、一生懸命登り込んで、身体が動きを覚えてしまうと、ブランクがあっても、手足の使い方や重心移動の感覚は忘れることが無いという事だと思います。
とはいえ、筋力の衰えは隠せず、次に右ルートを登り返した際は、手の甲がつって苦労する始末でした。
私がすべり台をリードしている際に、後方で大きな物音がしました。とはいえ、こんな微妙なところで中断はできず、構っている余裕もありません。
登り終わったころには、人の声もなく、大したことは無かったのだろうと考えてました。
ところが、しばらくするとサイレンが鳴り続け・・・。
金澤さんと二人でノーマルルートに戻ってみると、チムニーの上部から転落した男性が松の木から少しチムニー側に横たわっていました。
既に応急処置を終わり、そこまでおろしてきたとの事で、消防とヘリの到着を待つだけでした。
幸いというか、たまたま居合わせた国立登山研修所講師で、日本山岳レスキュー協会事務局長をしている島田ガイドのすぐ横に落ちたようで、救助を求める声や笛などが無かったのも納得です。
消防隊員が上部から下降してきたので、何かあればお手伝いする旨を伝え、すべり台の下まで戻り、救助終了まで待機しました。
私たちのすぐ前のパーティだったので、すべり台に行かず、直接チムニーに向かっていたら、私たち5人の誰かを直撃したり、ロープを巻き込まれたりというタイミング。
人気ルート故に、周りのクライマーにも気を付けないといけないですね。